去年の11月27日、毎日投稿って凄いなあという話。
6日目の過去の日記です。
この日の気分は緑色の「安らぎ」でした。
1.何があったのですか?
朝晩通して論理的思考力の重要性について思うところができた。
案の定細かく書くことが当時はほとんどなかったので、なぜだかはわかりません。
でも恐らくは、当時そこまで魅力的な本に出会った記憶もないので、おそらく仕事でミスをして、その際感情論を使った怒られ方をしたのでしょう。
今思えば、俺の理屈っぽさはこのころ辺りから強化されていったような気がします。
感情論でモノを語って、己の意志に従わせようという人たちへの静かな反抗だったのでしょう。
と言っても、当時はまだ前頭葉の状態も今ほどは成長していなかったので、自分で使おうと思っていた理屈の難しさに飲まれて頭が痛くなることもしばしば。
策士策に溺れるではないですが、本当に計算を続けてきてよかったと思います。
2.その気持ちになったのはなぜですか?
ドラマをイラつかずに見れた事と、ボクスタの反応が良くなった事。
この時に見ていたドラマが何なのかは分かりませんが、少なくともイラつくような内容だったのでしょう。
でなければ驚きません。
というか前提として、俺にとってドラマというのはイラつく者の代名詞です。
別にすべてのドラマが嫌いとかそういう事ではないし、そういったものが好きな人がいるのも理解しています。
それにもう今の俺は、好きではないが嫌いではない状態まで考えを改められています。
ですが俺にはどうにも、あの怒鳴り声をあげる人が必ず一人はいる日本のドラマというのを楽しんで見れないのです。
逆に多少のトラブルはあるにしろ、基本的にウィットの富んだギャグをかまし、持ち前の明るさでもって最後は皆ハッピーに仕立て上げる海外のドラマは好きなのですが。
向こうのドラマは基本的に怒鳴り声をあげる人が少ないですし。
俺にとって怒鳴り声というのは、この世で最も忌むべきものなのです。
やればやるほど、怒鳴った人も怒鳴られた人も精神をむしばまれるし、それを見た他人も気分が悪くなる。
ちょっと前までは百害あって一利なしだと本気で思っていたものです。
それが毎回のように出てくるんですよ?
誰だって生理的に嫌なものが毎回出てくる物語なんて嫌でしょう?
その毎回イラつくはずの物語を、何が理由かは忘れましたが全くイラつかずに見れたのです。
そのことに対する己の成長に対して嬉しさを感じ、安らぎを覚えたのでしょう。
これからも成長していく自分を思えば、このドラマを見てイラつかなった俺は一つの山場を越えたのだと。
あとボクシングスターでの俺の反応が良くなったとありますが、おそらく次の日の日記にも出てくるSHAPESというパズルで、論理的思考力を上げたというのが大きいと思います。
1.の論理的思考力の話しもこれが元ですかね。
いま調べるついでに久々に遊んでみましたが、時間を忘れて取り組んでしまう隠れた名作であり、かつ上に書いた通り論理的思考力も鍛えられるのでかなりお勧めです。
3.穏やかな気持ちを継続するには?
このまま進めばいいのさ。
継続は尊いけど、無理に先を目指して心を崩しちゃ本末転倒だもの。
言い訳じゃないよ。
まだ安心感は続いているようですね。
ただ二段目の文章については、今の俺にも思うところがあります。
こういうのが日記を見返す醍醐味ですね。
ちょっと前までは自分で言った手前、疲れていたとはいえ一日空けて日記を投稿するのはどうなんだろうという考えが頭を占めて、不安でいっぱいだったのですが、続けることが目標なのに続けられなくなる思考ってどうなんだと気づいて、これからゆっくり365記事、書いていくことにしました。
そもそも毎日投稿というのに憧れはあったのですが、ドが付く初心者で、しかも毎日書けるような頭も育っていない俺には、土台からして無理な話でした。
しかしこのブログの最初期で言ったように、自分でした発見も含めて、世の中の人々に知ってほしいことが山ほどあるのです。
過去一年間、つまり365記事と、日々の気づきを合わせたら、結構な量の記事数になると思います。
あとは毎日記事を書けるような頭と、自分が記事を上げるという行為に対する苦手意識の払拭。
しかし、記事を上げる苦手意識の払拭の方はなかなか難しそうです。
今や打てば響く鐘のような人気のYouTuberのヒカキンさんや、かの有名な歌い手のまふまふさんでさえ、自分の作った作品を投稿するときには吐き気すら覚えるほどであるとか。
ヒカキンから「まふまふさんみたいになりたいとか、YouTuberになりたいっていう若い子がたくさんいると思うですけど、そういう子に向けて伝えたいことはありますか」と問われたまふまふは、「結局、努力は必要だし、どこかで辛い思いをすることとか、壁にぶつかることは絶対にあるんですけど、ネットの時代だからこそ、誰にでも何にでもなれると思うんですよ。インターネットのおかげで、誰にでも可能性がある」と締めくくった。
俺もブログを続けていれば、何者かになれるでしょうか。
もし俺が、今後の人生で投稿の苦手意識を払拭する方法を見つけられたならば、もしかしたらお二人をはじめ、多くの表現者の救いになれるやも。
腰が抜けるほど大それた夢ですが、実に叶えたい夢でもあります。
それでは今回はこの辺で。