去年の11月28日、変わらない日々。
7日目の過去の日記です。
この日の感情は、水色の「前向き」でした。
1.何があったのですか?
感情論と理屈論の違いと、自分が人を嫌う理由と、本のページをadobescanで撮るというのを思いついた。
後今日は気になる記事を結構音声化できた。SHAPESはまだまだ続けていく。
やっぱりまだ思ったことについての解説はしていませんね。
これが日記を書く上での悪い例です。
後から読み返しても、当時なぜそう思ったかが想起できない。
簡単な一文でもいいので理由を書くようにすると、あとあと読み返した時に参考になります。
あと当時の俺は、まだまだ人を嫌っていました。
表面的な部分しか、人間というものを捉えられていなかったのですね。
今はどうかと言えば確実に、この世界に存在する全ての人間に可能性を感じられるくらいにはなりましたが。
正直、まだまだなのでしょう。
とりあえず「苦手な人間」というのは居ても、「嫌いな人間」というのは今後できなくなるような価値観は身に付けられたと思います。
あとadobescanについてですが、これはカメラで撮った四角い紙の紙面の文字を、そのまま写真として切り取ってPDF形式にして保存できるアプリです。
写した紙面の文字ははっきりと読み取れるほど精度が高く、sidebooksとも併用してPDFは良く使っていたので、仕事関連の書類をまとめるのに使っていました。
日常生活ならかさばる書類系など、データとして残しておけば良いものはこれを活用すると、部屋がすっきりするかもしれません。
気になる記事を結構音声化できたとありますが、これは前からよく見ていたいろんなブログさんのためになる記事を、VOICEROIDという文章読み上げソフトに読み上げてもらって、それを倍速で出力したものをウォークマンに入れて朝方に聞くというのをやっていたので、そのことですね。
◆VOICEROIDとは
株式会社エーアイが開発した人間的で自然な音声合成を実現することができる高性能音声合成ソフトウェアを元に、AHSが個人向け製品にパッケージングした製品です。 コーパスベース音声合成機能に加え、微妙なフレーズ(イントネーション)の調整やスピード調整、音声ファイルの作成などを行うことができます。
読み上げソフトなら別にこれでなくともよかったのですが、感情の起伏を表現出来たり、当時ゲーム実況にはまっていたので、いつかやってみたいなという思いもありこれにしました。
今まであまり意識していませんでしたが、これが無かったら今の俺はなかったかもしれません。
日常に溶け込みすぎると有難みが薄れるというのはなんにでもいえることですね。
2.その気持ちになったのはなぜですか?
いろいろ思考を巡らせる時間があったから。やっぱりこの職場にしてよかったかも。
まだ早いかな?
この日は普段と違いやるべき仕事が少なく、休憩時間が早く来たので、その分思索にふけっていたのでしょう。
この時はまだ後悔はしていなかったのですが、一か月後にはこの会社をやめることになります。
もちろん望んでやめたのですが。
3.明日の小さな目標は?
お母さんと勤行のことについて話し合う。
またやる理由が迷走してきてる。
そもそも勤行はやれと言われて始めただけで、やればやるほど時間を無駄にしている気がしたので、勤行をやる意義について母親と話そうと思ったのだと思います。
しかしこのあとも解決の見えない議論が続いているという事は、この時も功徳(くどく)というやればやるほど身につくらしい幸運の為の貯金のような考え方ではぐらかされたのでしょう。
こんな言い方をしていますが、俺自身は功徳はないとは思っていません。
その功徳という考え方を通して本当に前向きになれるのなら、それは間違いなく正しいことです。
地球というのは行動の星であり、前向きに生きて行動を起こせるのなら、理由が何であろうと行動の要因になることは人生にとってプラスであるのだと考えています。
ですが結局のところは、人生においてどこに「重き」を置くかです。
例えば俺の場合、過去に起こった出来事は良いと思われることでも悪いと思われることでもすべて意味があり、今の自分を形作る礎になっていて、そのおかげでいろんな幸せを感じられる今があるのだという考え方で生きています。
だから基本的に、これから俺が起こした行動が裏目に出て痛い目にあったとしても、それは未来の自分が幸せに生きるための、考え方の土台になる貴重な経験にほかなりません。
事実俺は、ついこの間折った右足の痛みがあって、自業自得での骨折にも関わらずかいがいしく面倒を見てくれた両親の愛情を、心から信じることができたのです。
それまでは、口では逆のことを言っていても、どうせ腹の中では早く家を出ていってほしいのだろうと、厄介払いをしたいのだろうと思い続けてきました。
俺は右足の骨折があって、人の手を借りて生きることに多くの意味を見出せました。
この経験があったからこそ、大きな大地が小さなミミズの存在なしには健康な土でいられないことや、またミミズも、その大地の栄養が無くては生きていけず、この世界のありとあらゆる存在は、地球でさえ、宇宙という空間の頼りが無ければ存在し得ないことを知れたのです。
それを知れたからというもの、人からのアドバイスを素直に聞くというスタンスを持つことができました。
もちろん、理屈として納得できないアドバイスは受け取れませんが、少なくとも「こいつのアドバイスなんか誰が聞くか!」という考え方はまるでなくなりました。
自分一人でできることの限界を悟り、頼ることの意義を見出せました。
全部骨折の経験があってこその貴重な気づきです。
正直なところ俺も勉強不足で、この功徳というのが本当はどういう意味で使われているのかは分かりません。
なのでいまは、自分の経験に基づいた考えしか書けないのはごめんなさい。
功徳については、正しい理解が無いうちの批判は避けるべきだと思っています。
でなければそれは批判ではなく、単なる誹謗中傷です。
ただ自分の考えを押し付けてけなしているだけです。
正しい理解があって初めて、批判は成立するものと思っています。
- SmaSurf クイック検索
この日はだいたいこんなところでしょうか。
まだまだ薄い内容の日記が続きますが、なにとぞ暇なときに、しょーがねーからという感じでご覧ください。
お時間いただき有難うございました。
それでは今回はこの辺で。