在り方探し。

いわゆる雑記ブログです。

理想の老後、物知りじいさん?

今週のお題「理想の老後」

お久しぶりでございます。
実は先日、完全に自業自得なのですが、右足の骨を軽く折ってしまい、現在全治3ヶ月で家族からありがたくも看病してもらっています。

それに伴って、二回にあった自分の部屋のパソコンをいじることが出来なくなってしまったので、やむなく携帯の方でアクセスして、記事を書いています。

なのでしばらく、パソコンの方では編集ができないので見辛くなるかもしれません。
心苦しいのですが、ご理解いただけますと嬉しく思います。

さて今週のお題で、理想の老後ということですが、実は老後に限らず、自分には夢があります。

このブログを書きはじめたのも夢の礎にするためなのですが、一度深い悩みを経験された方が高い確率で願う、同じ悩みを持った人を元気付けたいという気持ち。

俺の願いはこれに端を発しています。

手前みそですが、俺もいままで一般の人にはなかなか理解されづらい悩みを抱え続けてきました。

その数々の悩みのなかで、また日記を書くなかで、己との対話を繰り返して見つけてきた対応策を、ゆっくりでも配信していけたらと思ってのことでした。

俺の理想とする老後はその先にこそあるのです。

俺の理想の老後は、地域の、県の、国の、世界の、宇宙の人々の悩みを、少しでも軽くする知恵を届けられる老人です。

俺はかれこれ28年生きてきた訳ですが、その中のあらゆる喜びごとの中でも群を抜いて嬉しかったのが、俺と話していて気分が軽くなった、救われたという友人知人の顔を見た瞬間でした。

俺は昔から、ベッドやクッションのような人間になりたいと思って生きてきました。

ああ勿論、物質的な意味じゃなくて精神的な意味で。

頭のなかに妄想で作り出した愛の権化に助けを借りつつ、自分なりの愛を体現しようと試みました。

しかし当時、世の中で言われていた優しさの定義、言うべき時に言うべき事をビシッと言うという定義に圧され、己の中の優しさの定義を変えようと思いかけていました。

ところがどっこい、俺が苦しんでいるとき、悩んでいるとき、[言うべき事]を言われ続けた事によって、俺の心はズタボロのぼろ雑巾の様に疲弊していきました。

そんなとき、妄想で作り出した愛の権化と漫画の力で何度となく立ち上がり、自分で自分の駄目なところを見つめ続けてきました。

そのお陰でしょうか。
いまや俺は、自分の事を屁理屈職人と自称できるほどの理屈っぽさを身に付け、まあそれによって先日勤め始めた会社もまたもや首になった訳ですが、こうして元気にブログに体験をかけるのです。

その過去の経験から俺は、苦しいときに必要なのはビシッと言うことだけではなく、自分と見つめ会うための余力を養う精神を形作る経験に、自ら足を進められるよう、心の安寧を保ってあげる事ではないかなと、思ったわけなのです。

確かに、自分のいけないところ、弱い部分に目を向けるのはすさまじく勇気の要ることです。

経験上普通の人より少しはわかるつもりです。

だからこそ、そういった自分との対話で傷ついた己を、癒す方法を確立しておくことは、かなり重要なのではないかと思うのです。

ボロボロの体で戦ったって、負け率が高まるだけです。

ゲームでも同じことですが、一度敵に負けて体力が1の状態のまま、また挑もうと思いますか?

ちゃんと回復しますよね?

だから、自分の間違ったところに気付いて傷ついたら癒す、ちょっと立ち向かってまた嫌だと思ったら再び癒す。

挑んで癒してを繰り返して、少しずつでも情報を仕入れていけば、きっと希望は見えてくると思うのです。

俺も、怒りをコントロールする方法を9年間探し続けて、もうほとんど諦めかけていた一年ほど前に初めて糸口が見え、いまやすっかりとコントロール出来るようになりました。

それというのも自分を癒して、その度にまた少し知識を得るという行為を繰り返していった結果です。

そのなかで得た知恵を、説明してもなかなか理解できないかも知れませんが、お伝えしていきたいと思っています。

今回はこの辺りで終わりにしたいと思います。

PS.
最近他のブロガーさんの記事を読んでいて思ったのですが、もしかしたら今後、文字数1000から1500程度の短めの記事もあげるかもしれません。

一つの記事にまとめるとなると情報量が少なすぎて物足りなくなってしまうものの、お伝えしたい情報であるため、出来ればそういった短めの記事でお伝えできればと思っています。

何卒、ご理解頂けると有り難いです。

それでは、失礼します。