在り方探し。

いわゆる雑記ブログです。

これからの人がすべきと思う事。

善人への道も悪人への道も長い過程があり、

そのそれぞれの過程に独特な感情があり、

どちらかに偏った時、

もう片方がとても遠く感じる。

・自分が変えるしかない。

 

過程で感じる感情とは

その道を行く自分への肯定。

「これでいいんだ」と脳内で叫ぶ自分がいる。


どちらの道へ行くにも

心と脳の叫びが反発しあい、

「このままでいいのか」

と心の自分が自分に問いかける。


人は「一つの道に進もう」と

思えば思うほど迷いが生じる。

無理もない。

両方の道に価値や学びがあり、

それを感じ取り身にさせられる実力を、

人は本来持っているのだから。

 

だからこそ、一つの道に進むのには目標がいる。
しかし目標は頭で考えて手に入るものではない。


自分の本当の気持ちに真摯に耳を傾けて、

たどり着くまでの過程で頻発する悩みにその都度、

納得の行く答えを提示できる様に、

「心」と「頭」の自分の意見を

合致させる必要が出てくる。

これについてはこちらも記事も参照のほど。

直感の感覚と選択式直感の使いかたについて。 - 在り方探し。

 

 

この合致した状態がいわゆる、

自分を持っている人が成っている状態だ。

 

ところが現代社会はといえば、

社会のルールに無秩序に隷属(れいぞく)させ、

その上で心の自分の声の聞かせ方には

無頓着(むとんちゃく)極まりないという状況。


しかも世の中明るいニュースを広め、

心ときめかせ

本当の気持ちに気付かせることをせず、

衆目を集めることを優先し不安を煽り、

将来に対する希望を

いたずらにガリガリと削っていく。

 

結果どうなるかといえば、

世の中に散り散りになって存在する希望を

自らの意志で選び取り成長する気概を無くさせ、

ただただ無謀に、

それぞれの数少ない希望に気付くまでの間、

生き長らえさせる事「のみ」を

最低限保証するだけのものになる。


それでも良いのだが、

世の中を長期間「維持」することは出来ても、

短期間で「良く」することは難しいだろう。

 

だからこそ世の中の多くの作者は叫ぶ。


“気付け、気づいて己を変えろ“。

“見るべきものを見なければ、

世の中を変えることはあり得ない“。


「自分が変えるしかないんだ」という真実を

あらゆる手を尽くして伝える。


音楽で、漫画で、アニメで、絵画で、

ありとあらゆる芸術で伝え広めようと

血のにじむような努力を続ける。

 

・面白いものにはメッセージ性がある。


何故メッセージ性のあるものは面白いのか。
面白くなければ観てもらえないからだ。

 

面白くなければ、

「自分を顧みる手本にしようとしない」からだ。


何故面白いのか。
それは

「自分の気付かなかった側面」に気付けるからだ。

気付かせて貰っているからだ。


しかし、ただ面白い面白いと言っていても、

その気づきを活かそうとするにも、

活かす技術が足らない、

あるいは知らない。


その気づきをどう活かすかのノウハウが

世の中に広まっていない。


広まっていないだけならまだしも

やるのにも敷居が高い。

例えば日記であったり絵画であったり。


何故敷居が高いのか。
それは、

「学びを表に出し

 身にする機会が足りないから」だ。


世の中では自分を表現するには

「然るべき技術を学ばなければ」という

“思い込み“がある。


そして折角自分の気持を表に出しても、

無遠慮で無責任で誠意の無い

罵倒を浴びせていく輩がいる。


本当は、本当のところは、

ただ自分の感情を形にするだけでも

価値があるというのに。


社会における価値(認められるかどうか)

に囚われすぎて、

「己の中に価値を見る必要性」をかなぐり捨てた

悲しい奴らが罵倒する。


ただ表に出すだけでも価値があり、

その表に出した感情と向き合い覚えておき、

次にその感情と向き合うタイミングが来たら、

今度は前に見出した自分の意見と擦り合わせ、

前回と今回の意見の相違を探り

事細かに考察する。


そして疑問を抱いたら調べ、

次の疑問を見出しまた考察する。


確かに工程は長い。
面倒かもしれない。

しかしここで得た学びは「一生もの」であり、

誰に急かされることもない、

生涯における大いなる学びなのだ。


しかも身につければ身に付けるほど

生きやすくなっていく。


やって損はない学びが

世の中にはゴロゴロ転がっているのに、

社会での忙しさをそのまま受け入れて視野を狭め、

己を癒やすための、学ぶための、

貴重な時間をただ一心に仕事だけに浪費する。

それが今の世の中の在り方だ。


この在り方を変えるには

「誰か」が気づいて変えるしかない。


ところが現代の人達は

「人間一人」が出来る事の量を忘れている。


1日24時間、それが365日。

その365日を何十回と重ね、

その上で興味の名の下に

学ぶべきと思うモノを「選び取って」、

興味のない人からすれば

とても追い付けないような実力を持っている、

疑問を提示されれば自分で考え発言出来る、

AIにすら至難の偉業を為せる人が大勢いる。


これがどれ程「凄まじい」事なのかを忘れている。


これは誇張でも何でもなく紛れも無い事実だ。


これからの人間が何をすべきなのか。

俺に言わせれば答えは一つしかない。

 

それはもう、ただただ自分を知ることだ。


凄まじい存在である筈の自分を信じて、

選び取ってきた情報に目を向けて、

己の価値を「思い出すこと」だ。


時間はかかるかもしれないが、

知った己を活かす先は目を向けた先の数だけ在る。

これ程身になる学びは他にないのだから。

 

 

 

・後書き

 

時期的に、明けましておめでとう御座います。

今年もどれ程お役に立てるかも分かりませんが、

精進していくつもりなので宜しくお願い致します。

 

さて、前回記事を投稿して

からほぼ3ヶ月音沙汰も無かったわけですが、

実は直感に聞いたところ、

要約するとこんな返事が帰ってきたんです。

 

・「求められるままに書き続けていると

  いずれ身が保たなくなる」

 

・「後で忙しくなるから今は遊んどけ」

 

・「今は余裕が必要な時期、

  顧みることが必要な時期」

 

・「緊急でもないのに根を詰めると

  余裕が無くなり他に影響が出る」

 

・「重要人物来るから今は待っとけ」

 

いやなんかもう自分にとっては都合が良すぎて、

ワンチャン俺が勝手に首動かして

そういう風に無意識に

仕向けてるんじゃないかって思うんですけど。

 

ただ今までの信憑性を考えると

何よりも信頼の置ける直感に、

ニュアンス違いも考慮しつつ、

文面を変えて何十回と同じ質問をしても

「ただの一度も違った答えが返って来て無い」

っていう状況にとうとう諦めが勝ちまして、

暫くの間プロフィールの好きな何々欄の拡充に

専念させてもらっていました。

 

実際頂いた時間のお陰で、

結構多くの時間をかけないと

意味を感じられなかった経験も出来ましたし。

 

疑わしく思われても仕方ありませんが、

無駄な経験では決してなかったと断言出来ます。

 

それと以前の記事でちらっと触れた

「鍛錬ルーティーン」と、

今絶賛研究中の「色の技法」(仮名)

についての記事も

いつか書きたいと思ってるんですが、

鍛錬ルーティーンの情報って直感に、

「記事にするのは勿体無い」「金とれ」

って言われるんですよ。

 

どうしましょうねえ...。

情報なんて結局見る人によって

価値の変わるものですから、

出来ればタダで提供したいところなんですけど。

それほど真を捉えた情報とも思えませんし。

 

まあそれ言ったら回復についての記事も

そうなんですけどね。

 

何よりお金の頂き方も分かりませんし、

他の記事や言葉でも、

お金をかけてもいいと思われている

情報なのかどうかも分かりません。

 

それと色の技法についてですが、

こちらは記事にするべき内容だそうです。

 

ただこちらまだ研究中の段階でして、

去年の中頃から研究開始した物なので

人に広めるのは若干気が引けるところも。

 

期待させといて何だと思うかもしれませんが、

両者とも出来れば、

心に記事にする・しないの

論理的決着が着くまで

保留とさせて頂きたく思います。

 

それとプロフィールの内容についてですが、

特に好きな言葉欄。

 

試験的にやってみたものの

反応の無いまま続けている

プロフィール上方の

「検索用一文字&一言」ですが、

お役に立てているでしょうか?

 

反応が頂けるまでは暫く

このまま続けるつもりですが、

こちらもどうなんでしょうね。

 

新年早々曖昧な答えばかりですみませんが、

まだまだお付き合い頂けるようであれば幸いです。

 

それではまた次の記事で。