在り方探し。

いわゆる雑記ブログです。

二択における正解。それは「選択」それ自体。

 人は常に大きな存在によってその選択を監視され、

時に試される。

「その選択に迷いはないか?」と真っ直ぐに。

 

 

何をいきなりと思うでしょうが、

自然と自分の関係性について語れば、

ちょっとは否定できないのではないかと

俺は思うんですよ。

 

まずそもそも、この大きな存在とは何なのか。
これは先にも述べましたが「自然そのもの」です。

 

そして自然とは、

「自分がコントロールし得ない全ての存在」です。

 

自然という字は自分の自(己・我)と、

「然り(しかり)」、つまり

「そうだ。その通りだ。」

という「認識」を表す漢字で成り立っている言葉です。

 

この世にある自分以外の全てのもの。

人間や動物、植物、陸海空に大宇宙。

 

意思が在ると無いとに関わらず、

みんな自分のすべきと思うこと、

「役目」を果たして活動している。

 

これが俺の解釈する「自然」です。

 

言ってみればこの世の多くが、

自然=我然り(われ、しかり)。

要は「自分はこうあるべき」という

認識のもとで動いていると思っています。

 

論理に無理があると思うでしょうが、

この記事の上ではそういう認識でお願いします。

 

そして人は生きている限り、

「自分」と「その他全て」という構図の元で、

色々なことを選択しながら生きています。

 

その選択が良くない結果を招くことも良くあります。
しかし選択が合っているか間違っているかを

判断するのは常に自分です。

 

自分以外の全て、

つまり「自然」は時に我々に問い掛けて来ます。


「その選択に間違いはないか?」と。


その選択でたどり着いた結果に

満足できるのかと問い掛けます。

これがいわゆる天変地異やトラブルです。


災厄は忘れた頃にやって来るとは言いますが、

それが自然からの問い掛けです。

「忘れていいのか?」
「用意しなくていいのか?」
「その選択で後悔しないか?」

考えさせる間もなく、

ただただ真っ直ぐに問い掛けてくるんです。


人は自然と向き合うと、

自分の無力さを自覚せずには居られません。


どれだけ力があっても、

どれだけ頭が良くても、

自然を相手にすれば誰も威張れません。

敵が大きすぎるんです。

 

そんな時大事になってくるのが、

他の誰でもない

「自分で選んだ選択」です。

 

人間は二者択一を迫られたとき、

必ずもう片方を羨むように出来ているのだそうです。


ですがそれはあくまでも、

「自分の選択に自分で納得しないままで」

選択肢を選んだ場合です。

 

自分で選択することに意味があるのは、

「自分で自分の選択に納得するという

   経験を積むため」

です。

 

他人に重大な選択を任せると、

何か不都合が起こった時、

その選択を任せた相手に責任を被せるという

「逃げ道」が出来てしまいます。

 

他人に責任があると思い込むと

よっぽどの事がない限り、

その選択が失敗に終わった理由を

自分に問い掛けたりはせず、

考えることを放棄し、

有益な経験を無かったものにしてしまいます。

 

ですが向き合って考えれば

次に同じことが起こった時の対処方を見つけたり、

良い自覚をして行動を改め、

より良い結果を導いたり出来ます。

 

そして「間違えた意味」を見いだすと、

自分の選択に自信が持てるようになります。


間違えたとしても、

その間違いに意味を見いだして

糧(かて)に変られるという確信を持てます。

 

これが、

自然という大きな存在から

投げ掛けられる質問に対して、

厳然とした答えを提示する下地になるわけです。

 

人間は生きている限り一生、

問い掛けられて答えるという

この構図から抜け出すこと叶いません。

 

逃げても逃げても追いかけてくる質問に

「向き合うべき時」とはいつなんでしょうか。


それこそが前回書いた、

「変わろうと「自分」で思えた瞬間」です。

自分を変える切っ掛けについて提案。 - 在り方探し。

 

変わろうと自分で思えた瞬間というのは、

一度二度とその自己改革に伴う失敗を経験すると、

より強く記憶に刻み込まれます。


例えば
「ご飯を食べる前にいただきますと言う」
という様な自己変革を試すとします。

 

しかしまあ当然、

人によって差はありますが一度や二度、

三度や四度は必ず間違えます。

 

しかし、

「変わるんだ!」と強く意識したあの時が

ふっと思い出されます。


また、

それまでに重ねてきた二度三度の失敗は、

エピソード記憶として強く脳に刻み込まれ、

次第に実行する前に思い出す事が増えていきます。

 

そして思い出したら、

あとは実行するだけです。

これも自己変革の1つの在り方です。

 

そして成功した自己変革は、

その後の人生の考え方に影響を及ぼします。

 

自分で選択することの意味。
失敗することの意味。
変わりたいと思う方向へ舵(かじ)を切る意味。

 

それぞれの意味を理解・解釈し、

次なる「問い掛け」に備える。


これが俺の考える、

人生において大切なことの1つです。

以前書いた記事の補足の様な形になりますが、
宜しければそちらの記事も

会わせて読んでいただけると嬉しく思います。

人生において大切なもの。(知恵袋流用記事) - 在り方探し。

人生において大切なもの。知恵袋第二回答用記事。 - 在り方探し。

 

自然と自分の構図を続けていると、

どうしても苦しくて

膝を折って仕舞うときもあるでしょう。


その時はどうか、

この過酷な世界を渡り歩き、

沢山の感動する機会を与えてくれる

そのお身体に感謝し、

しっかりと休みを取りましょう。


身も心も元気になって

また動けるようになったら、

今度は向き合う喜び、

立ち向かう喜びを見つける為に動くんです。

俺流「回復」の仕方をシェアします。(音声作品の紹介在り) - 在り方探し。

頻繁に意見を変える人に対する見解。(知恵袋流用記事) - 在り方探し。

 

病める時も健やかなる時も、

肝に命じてください。

 

いついかなる時でも、
「今やれることをやっていくしかないんだ」
ということを。

 

それではまた。