在り方探し。

いわゆる雑記ブログです。

「理想を掲げて囚われる」のを回避する。

掲げる理想が大きいからこそ、

受け入れられない部分が出てくる。

 

だが何事も、

すべてが理想通りという訳には行かない。

 


理想を描いて行動するのは

勿論歓迎されるべきことだが、

間違えてはいけないのは

その理想に「縛られる」こと。


「こうでなくてはならない」

という囚われは、

岡目八目といって、

三者には、当事者よりもかえって物事の真相や得失がよくわかること。

輪の外に居るものでしか

滅多なことでは気づけない。

 

欠点やミスがあり、

それが故に指摘をしているのかもしれない。


もし相手の論調に正しさを感じるのなら、

自分の中に、

「折れても良い理想」

がないかどうか

何度も問いかけてみるといい。

 

簡単に言えば

「それ何々じゃなくってもいいんじゃない?」

というやつだ。


考えの囚われは、

外部からの指摘や自らの進んでの考察以外で

解き放つことが難しい繊細なもの。


その問題について日夜悩み、

誰よりも、

その問題に対して誠実である貴方だからこそ、

「誰にとっても一番良い道」

を探れるのは

貴方だけなのかもしれない。


悩みとは考えるからこそ生まれるもの。
そして考えるとは、

そこに対する意志があるからこそ出来るもの。

 

悩みを持つというのは

自分だけの問題ではないのだ。

 

やらなきゃいけないわけじゃない。


しかし同じ悩みを持つとは、

同じ問題について考える人を救う役目も

担っているということだ。


「自分にとっても」他人にとっても

良い道を探るというのは、

「貴方にしか」出来ないことだ。


「貴方だけの視点」で悩みについて

考えを深められる状況であるからこそ、

その問題に対して真摯に向き合う必要がある。


真摯に向き合うとは、

ただ欲しい情報だけを集めて

独りよがりな結論に達しろ

と言う意味ではない。

 

他人の尊厳を自分なりに

最大限尊重した上での結論を出すことだ。

 

「自分なり」で良いのは、

自分の中に理解する材料が無いからだ。

 

人は行動して、

その行動の結果を自分で感じて、

自分の行動が何を引き起こしたのかを

身を持って知る。

 

そこで初めて人は、

自分のしたことが

自分に影響するという「当たり前」を知る。

それが成長だ。

 

成長とは一言で言えば、

「自他に限らず最善の選択肢を選ぶ糧を得る」

ということだ。


悩み疲れたら

問題から離れて回復するべきだ。