感情のコントロール、怒りの制御、広い心の身に着け方。
どれも誰もが憧れる言葉ですよね。
実は上の3つ、それぞれ習得すべき順番でかいています。
まずは感情のコントロール。
コントロールとは、制御、調節、管制。
ちょうどよく調節すること。
感情のコントロールとは、そもそも自分の精神を押さえつけるという意味では無いのです。
感情をコントロールするというのは、怒りを制御出来るだけの見識をもっと早く取得できるよう、自分をよい状態、ニュートラルな状態に戻すという事なのです。
まずは感情のコントロールについてお話しさせてください。
例えば、とてつもなくストレスがたまっていて、常に何を見てもイライラする。
爆発するとまではいかないけど、それでも気分が沈んでしまってしょうがない。
こんな状態は明らかにニュートラルな状態ではありません。
では逆に、ニュートラルな状態とは何なのか。
それは、[暇なとき]です。
暇な時というのは、よくも悪くも変化を求めるものです。
大抵は面白いイベント事を望みますが、あまりにも暇な状態が続くと、むしろなんでもいいから感情を動かす出来事をと望み始めるのです。
楽しいでもなく、辛いでもなく、ただ中間の状態に心を持っていく。
これが感情のコントロールです。
そしてこの感情のコントロールは、何よりも優先されるべき事なのです。
この猛烈に暇なときにこそ、気分を明るくするものに触れて、自分をよい状態へと持っていきましょう。
この暇な状態に最も早くたどり着けるのが瞑想です。
俺のやり方なので本当の瞑想かどうかはわかりかねますが、いずれここでも紹介したいと思います。
次に怒りの制御ですが、これはもう考え方ひとつに限ります。
まあ俺のやり方なので万人に共通したやり方とは言いがたいですが。
その内容は三つ。
1.自分がおかれている状況の徹底分析。
まずは、自分がおかれている状況、上司にされた仕打ち、そのときの自分の気持ちや取った行動、余裕があれば、お互いが言いはなった悪口、余裕があれば、相手の家族構成や置かれている立場、会社の運営状況、社会情勢、他の社員との接し方など、かけるだけ書き出してみましょう。
会社の上司でなくとも同様です。
まずは書き出して、それを大事に保管しておきましょう。
これをいずれ見返したとき、自分を知る最上の材料になります。
何よりもまず自分を知りましょう。
このブログでも再三書いていますが、日々日記に書いていくと、自分の思想の推移が見れてこの行為のモチベーションにもつながります。
日記に書いたところで誰も責めませんよ。
思い切り書きたいことを吐き出しちゃいましょう。
ところで、「自分の事は自分が一番わかっている」
そういう言葉が聞こえてきそうですが、ならば聞きましょう。
なぜあなたは怒り、悲しむのですか?
怒りや悲しみとは、自分をその場から遠ざけようとする感情です。
なぜ自分はその場所にいるのが嫌なのか、なぜ自分はその言動を嫌うのか、なぜ自分はその人が嫌いなのか。
俺がいっている自分を知るというのはそういった自分です。
これは俺の主観ですが、いまの社会の人々は、あまりにも自分を知らなすぎると思っています。
挑発的な発言になってしまう自分の力量を嘆くばかりですが。
2.我慢できなければその場を離れる。
これは、簡単に言いますがとても難しいことです。
自分だけではなく家族をも巻き込みかねない選択ですが、お聞きしたいのです。
[一生自分を偽って生きていく]
または
[まだ見ぬ明るい未来を信じて自己理解に踏み出す]
どちらを選びたいですか?
あなたは[ほんの少しのことでイライラして、キレたら手のつけられない上司]と[滅多なことでは怒らず、いつも朗らかに笑い、未来を見据え、何でも相談に乗ってくれる上司]。
どちらの上司の下で働きたいですか?
自己理解を深めるというのは、自分を苛立たせる原因を探り、それに向き合って解決し、信じるに値する自分を確立し、周りも自分も幸せにできる唯一の道だと思っています。
しかし、この道を極めるには多くの時間が必要になります。
もし自分がいま会社を辞めて家にいても、養ってくれるひとがいるというのであれば、思いきって胸を借りても良いのではないかと、個人的には思います。
人生これ、全て学びです。
無駄な時間というのは、無駄な時間を過ごしたと決めつけたい人が勝手に作った概念です。
例えそのときはわからなくとも、その辛かった経験が、生きて学ぶ姿勢を忘れなければ、全て活きてくるのです。
3.もし新しい職場で自分が書き留めた腹のたった相手と逆の立場になったら、言動や行動を見直す。
ショックな出来事というのは、自分を見つめ返す機会としてはこれ以上無いほどの貴重も貴重、ドがつくほどの貴重な機会です。
ショックを受けると、人は言い訳が溢れてきます。
俺もそうでした。
[あいつがあんなことを言わなければ]
[あいつがあんなことをしたから]
俺は悪くないんだ。
確かに、悪くないんです。
だって知らなかったんですから、最善の方法を。
昔の人は言いました。
無知とは愚かなり。
この言葉、個人的にはあまり好きではありません。
知らなかった事を愚かと呼ぶのは、いささか言い過ぎな感があります。
誰しもが皆、学徒なのです。
いくつになっても学び終えることなど無いのです。
もし自分が全く逆の立場にたっていた場合、昔嫌いだった相手の事を思い返しましょう。
[あいつも苦労してたんだな]。
そう思えたらほぼゴールです。
俺も思い立ってからの9年間、怒りに関して目を皿のようにして探しましたが、魔法のようにイライラが収まる方法なんてついぞ見つかりませんでした。
そのイライラを[手放す]きっかけをくれたのが、その酷くムカついた上司だったのです。
今では、この安穏な精神性を手に入れられるきっかけをくれた上司には、感謝しかありません。
それからは、人の主張に正義と悪の概念を持ち出すことなく、冷静に人の事を考えられる思想を身に付けられた気がします。
まだまだ身につけて一年経っていないため未熟な身ですが、知らなかった時よりは遥かに心穏やかに過ごせています。
以上が、俺の考える感情のコントロール、怒りの制御、広い心を手にいれる3ステップです。
賛否両論あるでしょう。
しかし、これが俺の人生です。
ただ最後に、これだけは絶対に、合間合間に実行してほしいこと。
絶対に、気分が沈んできたら自分を癒してください。
先程書いた、自己理解には時間がかかるといったのはこれが理由です。
誰しも、自分の内面を知り考えを改めるというのは凄まじく、すっっっっっっさまじく苦痛な行為です。
荒療治といっても過言ではありません。
ですが、その先にある未来は目も眩むほどまばゆく、いただきに立って見下ろした自分との対話の歴史は、一言では語り尽くせない艱難辛苦があったのだと一目でわかり、かつ、心から自分を称賛するにあまりある証です。
自己理解をやりとげたあとに待つのは、ただ満足する自分だけではありません。
心から自分を称賛できる歴史を作り上げたという事実。
他の誰にも真似できない、自分だけが味わった激烈な苦痛を、自分で乗り越えたという絶大なる自信に繋がるのです。
そしてそれは、自己理解のなかで得た、[本当にやりたいことがわかった自分]と相まって、夢への道を開拓する、最強無敵の向かい風となってくれるでしょう。
その先に広がる物語は、[自分]という存在を生きた一人の男、あるいは女の物語として、多くのひとを勇気づけることでしょう。
ちょっと気分が乗ってきて恥ずかしい文になってしまいましたが、以上でこの記事を終わりたいと思います。
どうか皆さんが、己を突き動かさんばかりの凄まじい活力と自信を得られる事を願って。
それでは失礼します。