在り方探し。

いわゆる雑記ブログです。

苦痛は手厳しい相棒。

今週のお題「忘れたいこと」

 

かなり久々に書かせてもらいます今週のお題

忘れたいことですか。

といっても無いんですよねえ。

 

 

 

忘れたい事ってのは、言ってみりゃ辛い経験でしょう?

それが無い、としますのは理由がありまして、

今まで起こったほぼ全ての、

容易に「不幸」と言い切れてしまう事が、

振り返ってみれば全て成長の糧に成っていたからです。

 

だから結論から言うと、

「どんなトラウマも今の俺を形作っている思い出」

なんですよね。
今だからこそ言えるってのはありますが。

例えば。

 

・クラスの授業でやった出し物に全く人が寄り付かなかった。

これは単純に俺の作品の出来が悪かった

と言うのもありますが、

そもそも人は個人個人で興味を示す物が違います。
当時の俺が俺以外のクラスの全員の

興味の真を捉えるような抜群のセンスが

有ったのなら別ですが、

当時の俺は人によって見る目が違うという事実を知る機会がなく、

「発表する場所をクラスに限らないのなら、

気に入ってくれる人は必ずいる」

という「当たり前」に気づけませんでした。

 

・小4の頃に年上に優しくしようという考えのもと

 重そうな荷物を抱えた老人を助けようとするも、

 その本人に痛烈に批判された。

 

これも、俺がしつこく食い下がった

と言うのも有るでしょう。
おそらくそのご老人は、

過去に通行人に荷物を取られかけたという

経験があったのかもしれません。


意図せずとも相手の警戒心を引き出してしまったのなら、

それは俺の不徳と致すところです。
この経験を通して善かれと思って人を手伝うのを暫くやめ、

行動する前に考える習慣をつける切っ掛けになりました。

 

・中3の頃げた箱で靴を履き替えていると

 とある女子三人組に三連続でキモいと罵倒された。

 

ここです、俺が人生で初めて明確に罵倒されたのは。
それまでもからかい混じりで色々な渾名を付けられたり

大袈裟に飛び退かれたりはしていましたが、

まだからかいのレベルで済むものでした。
正直耳馴染みがなく、

言われた瞬間は何の事か分かりませんでした。
ですがここで明確に、

罵倒された人間の抱く感情を理解することができました。
言われないと分からないことですからね、これは。

 

・高校の初期、よく話しかけてくれていた友人が

 関わってきた理由が、

 別の友人間での罰ゲームがきっかけであったと知った。

 

これについては過去の記事でも語っていますが、

mahorabar.hatenablog.com

知らされた当初はまあショックでしたね。
いや心なしか

「ああやっぱり」

という気持ちはありましたが。

なまじ希望を持っていただけに

鼻っ柱を見事にぶち折られた気がしましたよ。
今となっては良い思いでですがね。

 

・高校三年の頃、

 面識もない1・2年生に自殺君

 (今にも自殺しそうだから) 

 という渾名を付けられた。

 

これを聞かされた頃就職か進学かで

ナーバスになっていて、

過敏性腸症候群も患って

心身ともにボロボロだったんで、

自分でも「良く襲い掛からなかったな」

と誉めてやりたいです。
こちらも人の痛みを理解する機会ですね。
人の目に触れる物を作る趣味を

持っている今だからこそ、

その価値がよりわかります。

 

他にも山ほどありますが以上です。


まあ他の人に比べたらほんのちょっと不幸に

毛が生えたくらいのものなんでしょうが、

当時の俺からすればそれはもう辛くてね。

 

死にたいと思ったことも何度もありました。

でも今の俺は、

上記の事があって心から良かったと思っています。

 

お陰で人の痛みを知ることも出来ましたし、

何よりもこの辛い時代を乗り越えて、

今にバトンを渡してくれた自分の

「生き抜く努力」を実感することができましたから。

 

「あのときはどうやり過ごした?」

と心の中で問いかければ、

不器用ながらも生き抜いてきた記憶が

甦ってくれます。

 

時には漫画を読んで笑って、

なんとか気持ちを明るくし。

時には周りがドン引くほどぶちギレて。

いやあ、得難い経験でした!

 

親にさんざん心配や迷惑もかけましたが、

それも逆に考えれば親の有り難みを知る

貴重な機会だったわけです。

 

俺の人生に忘れたい出来事はありません。
本来であれば忘れたいと願うようなことも、

見方を変えることで自分を成長させる

起爆剤に変えることが出来ると

実地で学べたのですから。
机上の空論ではいずれ頭から抜け落ちますからね。


どれだけ学ぼうと思っても

容易には学べない、貴重な経験だったんです。
むしろ誰よりも幸福であると

今なら胸を張って言えます。


運命に抗って折角もらった人生を

無下にするのはあまりに勿体無い。
人生の酸いも甘いも辛いも受け入れて、

全力で糧にしてやるくらいの気概でいた方が、

余程楽しく生きれるというものです。

 

ところがどっこい。

「受け入れる」とは書いていますが

「我慢する」とは一文字も書いてませんよ。

 

むしろ逆です。

その時抱いた感情は、

怒り以外ならなるべく表に出して、

その感情を感じきるようにするんです。

 

悲しい時もうれしい時も楽しい時も、

その時々の感情を可能な限り表現するんです。

怒りの元になっている感情の一つとは、

「過去に素直に表現できなかった感情」です。

あの悲しかったころ、

全力で泣いてその場で感情を消化できれば、

「私は悲しかったけど泣かなかったのに・・・」

と他人の泣くという行為に

怒りをあらわにすることも無かったんです。

だから、未来にしこりを残さないためにも、

感じた感情は出来る限りその場で

発散していきましょう。

 

年齢や見た目なんて気にすることないんです。

全力で自分を表現して生きている人の方が、

俺はよっぽど魅力的に見えますよ。

 

例として、

電車の中で何をするともなく

笑っている人がいたとしましょう。

普通の人なら

「なんぞ?」

と警戒するであろうそんな場面。

俺だったら

「おっ!なんかいいこと有ったんかなあ↑♪」

とむしろ気分が上がります。

個人的にはしかめっ面より

よっぽど笑顔が見たい派なので。

こんな風に思う人も世の中にはいるんですよ。

 

さて、

なんかいろいろ前向きなことを書きましたが、

「だから前向こうぜ!」

なんて鼓舞するようなこと、俺は言いません。


苦痛の最中にいる人に、

赤の他人の言葉がどれ程届かないかも

上記の経験で学んだことのひとつです。


説教臭くなるのはもう癖のようなものですが、

「他人の心の隙間にどうやったら割って入れるか」

というのも、過去の経験を元に考察しています。

まあそれでもまだまだ未熟な言葉遣いですが。


染み付いた苦痛は血肉となって

今の俺を支えてくれているんです。
これを不幸などと何故呼べましょうか。
今や頼もしい相棒です。

 

今はブログを通して誰かに見てもらうことで

そういう視点が目立っていますが、

普段の生活でも意図しないところで、

「過去の苦痛」は「配慮」となって

表に出てきてくれています。


知る機会がなければ知り得なかった、

「人に寄りそう方法」。
配慮。


人によっては喉から手が出るほど欲しい、

輝かしい能力です。
これからも可能な限り

活かして生きたいですね。

それでは。