いやあ、ここ数日の苦悩の期間を通してよーーうやく納得のいく答えが導き出せました。
その名もズバリ、不安の解消法について。
不安の解消法、それはずばり瞑想です。
詳しく説明するには、まず不安の本質から語らなければなりません。
不安とは、読んで字のごとく安らかでないこと。
「安」一文字では
安らか、危険ではない、困難が無い。
あるいはやすめる、鎮める、落ち着ける。
「不」一文字ではそれだけで、次に続く言葉の打ち消しになります。
つまり、安らかでない。
これだけです。
今現在ただ安らかでないだけで、不安というのはいかようにでも生まれてくるのです。
たとえ未来で起こることでも、今の不安に引っ張られてどんどん悪い方に考えてしまうんです。
そしてもう二つほど、重要な考え方があります。
一つ目が、未来は確定していないということ。
二つ目が、起こった出来事に良い悪いという判断を下すのは、あくまでも自分であるということ。
この二つが非常に重要です。
二つ目については、俺は過去の経験から学びとっています。
例えば、会社を辞めたきっかけである、影で努力をしていた上司が居なかったら、俺はいまでも他人を、自分が見ている憎たらしい側面でしか見れていなかったこと。
どんなに憎たらしい人だって、自分が見ている部分以外のところで、人に尊敬されたり、望まれたりしていると。
あの上司のしたことで気付きを得ていなかったら、俺はいまでもこの社会の人間の多くを、その人がふと見せた憎たらしい一面だけを信じて、その人を嫌い続けていたかも知れない。
そうならなかったのは、ひとえにあの一見不幸な出来事があったがゆえに得られた幸運だと。
不幸に見えても、それによって得られたものがあったのだと。
例えどんなに嫌なことがあったとしても、見方を変える切っ掛け、安らかな心理状態、その先の多くの経験を通して、起こった出来事の良し悪しを、自分が決められるということ。
そして、その悪しき出来事と思い込んでいたものは、現在の安らかな時間を作った一つの要因であるという事を、大きな大きな時間の流れの中で理解できるということ。
自分が少しずつ変わっていけば、恨みも恨みではなくなるということ。
この事を頭にいれておいてください。
この先の未来で、過去にあった許せないと思った出来事を思い出したとき、当時の怒りがそのまま甦って来ていなければ、それはあなたが大きく成長した証です。
その時の怒りをそっくりそのまま思い出さないという事は、当時の自分から考え方が広まったという事です。
納得はしていなくてもいい。
ただ生きていく中で見聞きした全ての出来ごとの中に、過去に許せなかった相手を許せるだけの度量を身に着ける要素があったんです。
学ぼうとして学ばなくとも、ただそういった知識に触れるだけで、人は少しずつ成長するんです。
仮にここで当時の許せないという感情を抱いたとしても、もう少しです。
時間はたっぷりありますよ。
この前提が、不安を抱かない事につながる重要な知恵です。
さて、未来は自分次第でどうにでも解釈できると説明したところで、いよいよ本題です。
不安の解消法がなぜ瞑想なのかというと、安らかという言葉の辞書の説明文を引用して説明します。
まず安らかとはなんの心配もなく、気持ちが平らかな様とあります。
心配とは読んで字のごとく、心があらゆるところに配られて、統率がないとも解釈できます。
このあらゆるところに配られた心を一点に集束させる、つまり集中すること。
そして、気持ちが平らかな様。
これは瞑想をしてみると分かりやすいのですが、平らかというかほぼ無いに等しい状態です。
この気持ちというのを、頭のなかで湧いてくる独り言であるとか、好きな音楽であるとか効果音であるとか、なにがしかが浮かんでくる状態を指すのならば、気持ちが平らかとはすなわち、瞑想中の無の状態が一番近いと思うのです。
そこで、瞑想といってもどうすればいいのかわからないという人のために、我流ではありますが俺の瞑想のやり方をご紹介します。
1.まず背もたれに体を預けます。
椅子から転げ落ちるようでもなければ限界まで楽な姿勢でも大丈夫です。
もちろん椅子でなくとも大丈夫ですよ。
リラックスできればそれでいいんです。
2.心臓の音に意識を集中させます。
後は心臓の音をひたすら聞いているだけで、瞑想に近い状態になります。
※時々深呼吸してみるともっと良いかと思います。
いや正直我流なので、紹介しておいてなんですがこれが瞑想になっているかはわかりません。
ですが、安らかな状態に導くという意味ではちょっとした効果があるので、人によるかと思います。
あとこの方法、スピリチュアル界隈でよく言われる「心の声」とやらを聞くときにも向いています。
最近はもっぱらこの方法で聞いています。
母には変な目で見られましたが。
この心の声ですが、別のブログさんで分かりやすく解説している方が居たのでリンクを貼っておきますね。
要は、この心臓の音を集中して聞いているとき、眠くなったなーとか、喉乾いたなーとか、なにもしたくないなーと言った感情がわいてきたら、それを実行すればいいんです。
寝たかったら寝る、喉が乾いたら水を飲む、なにもしたくなかったらなにもしないことをする。
ちなみにこの何もしないという枠の中に、瞑想は含まれていません。
体を動かさないと言い換えてもいいでしょう。
それが、心が体に訴えている要求です。
ちなみにですが、水を飲むときは250ミリリットルを15分から20分おきくらいが効率的ですよ。
大抵、体に求められた事に答えていると、だんだん頭がさえてきます。
これを繰り返していくと、不意にこの姿勢を解いたとき、非常に安らかな気分になっている事があります。
その状態こそ不安がない状態、すなわち安らかな状態です。
この状態にあると、大抵の小さな嫌なことはまあいいかと流せるくらいの余裕が出てくるのです。
そうしたら、後は好きなことや趣味を通して、テンションを上げていきましょう。
単純に、この心の声を聴いた後は体調がまるで違うので、疲れて普段のように楽しめないという事はないと思います。
体の要求をこなしていくと、体が万全の状態で動いてくれます。
つまり、楽しいものをより楽しむことができるんです。
でも、未来で起こることに不安を抱くのも当然です。
そのときこそさっきの前提知識です。
一つ目が、未来は確定していないということ。
二つ目が、起こった出来事に良い悪いという判断を下すのは、あくまでも自分であるということ。
この二つを頭に刻み込んで、嫌なことがある度に瞑想や好きなことをやってその場をしのぐルーティーンが出来れば、もはや向かうところ敵なしです。
まあ、正直なところさっき思い付いたばかりの知恵なので、今日から一年後くらいに、また新しくこの記事について修正版を書くこともあるかもしれません。
しかし、おれはこの二つの公式に気付いた辺りで、自分の意見を表に出すということにかなり抵抗が失くなったので、一定の効果は見込めるものと思っています。
少なくとも損は無いはずなので、気が向いたらやってみてください。
それでは今回はこの辺で。