今週のお題と、小さな発見を積み重ねるちょっとした技。
今週のお題「〇〇の成長」
久々に覗いた時って、大抵自分にとって有益な情報があったりするんですよね。
今回の今週のお題もそうでした。
今週のお題の丸丸のところ、俺にはもう「自分」という単語が入るところしか思い浮かびませんでした。
しかし自分の成長。
実感を伴っていたとしても、自覚がないと文章としてしたためるのは難しいですよね。
俺が今度日記をさらしながら書き始める一年前から考えて、明らかに自分が変わったと思われる部分を上げていきたいと思います。
1.ニュースを見ても怒らなくなった。
まあこれは確実に、仕事をしていないという環境もあるのでしょうが、それにつけても小さな怒りの矛先を変える手法は身についたように思います。
例えばニュースを見ているとき。
心無いニュースを見てイライラしているときに、そのイライラの代償は誰が払うのだろうと思うことで冷静になることができました。
というのも、皆さんはイライラするとどうなりますか?
しかめっ面になって、ぴりぴりした空気を発しますよね。
確かに、他人の境遇をおもんばかって、こんなことがあってはいけないと奮起することは素晴らしいことだと思います。
しかし、自分がイライラしているというその感情を周りにわかるように表現してしまうと、自分の周囲の身近な人もイライラさせるという事に気づいたのです。
出来れば常に笑顔でいてほしい両親や兄弟も、自分が怒りを発するとつられてイライラしてしまう。
こう心がけることで、ニュースを見てイライラしだすことはなくなりました。
つまり俺は、他人の不幸に心を病むことよりも、自分の大事な存在を悪い気分にさせないために、他人事という視点を身に着けたのです。
はっきり言って、無慈悲、と言えると思います。
ですが俺は、俺一人が怒っても被害にあわれた方は救われないという事がわかっていて尚、他人のための怒りを保持する道は選べません。
それよりも、自分の周りにいるごく身近な人のために、身近な人が笑顔になれる選択をしていきたいと思ったのです。
書いておいて正直これが成長なのかは分かりませんが、過去に心無いニュースを見て苛立っていた経験を持つものとして、あの時よりはるかに心穏やかに過ごせているので、他人事という視点を持てたというのは成長といえるのかもしれません。
聞くところによると他人事という観点は、普通の人には普通にある概念だとか。
普通じゃない俺からすれば、この観点を持てたことは成長だと言えるのです。
成長とは、己の人生の端々にある小さな発見をつぶさに観察し、新しい考え方を身に着けていくことだと思うので。
2.無駄な時間が無くなった。
はい。
すみませんが、これ生活上で無駄な時間を無くす画期的なアイテムを開発したとか、そういう物理的なものでは無く、思想的な変化のことです。
そもそも皆さんは、無駄ってあると思いますか?
そしてもしあるとするなら、その無駄って何でしょう。
俺は、この世に無駄というものは存在しないと思っています。
さっきも書いたように成長とは、己の人生の端々をつぶさに観察して小さな発見を積み重ねていくことだと、俺は思っています。
だから極論、自分がすべての時間に意味があると思えば、無駄な時間なんて無くなるんです。
恐らく「無駄な時間」というのは、大きな夢を持っている方が、その夢と直接かかわりのない時間に対して使うことが多いのだと思います。
しかし、人間というのは結局のところ動物です。
いくら人間が人間として生きようとしたところで、動物的本能である食欲、性欲、睡眠欲には、どう抗っても逆らえません。
人間が人間として生きていくには、ある程度そういった動物的本能を容認して、「人間に戻る」作業が「必要」なのです。
その人間に戻る作業が、どうして無駄などと言えましょうか。
ストレスが溜まってきたら発散する、おなかがすいたら何かを食べる、眠くなったら寝る。
そうして心の声に従っていった結果、人間として生活する余裕が生まれてくるんです。
余裕のない状態では発見が無いとは言いませんが、少なくとも感性が鈍っていくのは、俺の今までの経験から言っても確実だと思います。
だって、お腹が空いていても寝不足でも、常にバリバリ趣味や仕事に邁進できるか聞かれればできないでしょう?
心の声もとい、自分が今したいことをするというのを繰り返して余裕を持ち、かつ、英単語HAMARUなどの想像力を鍛えるアプリを試していけば、おのずと生活の端々に、自分を成長させる要因が転がりまくっていることに気づくはずです。
という二つが、今のところぱっと思いつく過去からの成長です。
他にもあるのですが、とりあえずはこの二つで。
恐らく日記をさらしていくうちに思い出すと思います。
そのための企画でもありますので。
ちなみにさっき二度も使った、己の人生の端々にある小さな発見をつぶさに観察するという言葉、具体的でないですよね。
主観ですが説明させていただきます。
まず自分の気持ちを、絵や文章を使って表現します。
表現というと難しく聞こえるかもしれませんが、要は書きたいように書けばいいのです。
イライラしているならとげとげした線、思いつく限りの悪口を書きましょう。
逆に楽しければ、丸っこい線だったり、身近な人への誉め言葉、自分への誉め言葉、とっさに見たCMなどに思う事などでもいいのです。
そうした自分の意見を箇条書きでも自分の外に表現することで、「ん?」と思うものを見つけると思います。
そこです、そこが肝なのです。
あとはその、「ん?」っと思ったものに対して、ぱっと思いつく関連のありそうなものを片っ端から想像していってください。
あのーあれです、マジカルバナナです。
何々と言えば何々という。
なんでもいいんです、例えば「黄色」なら「バナナ」でも「脂肪」でも「歓声」でも「キリン」でも。
そういった想像をつなげていった中で、また「ん?」っと思うものが出たら、またそこからさらに想像をつなげていきましょう。
そうすると、自分が今興味のあるものが見つかります。
そういえばあれ、いまどうなってるかな?など。
後はそれを知ろうと検索なり運動なり、知ろうと動くことで、生き生きと行動できる何かが見つかります。
こんなこと、何か意味があるのか?と思うかもしれませんが、そういったことの繰り返しが、発見を生み出すための行動を促進します。
世界にはこんな言葉があります。
地球とは行動の星だと。
動物的に満足して余裕のある自分と、発見を促す行動。
この二つが合わさると、自分でもびっくりするくらいの発見がたびたび起こります。
その先にこそ、あらゆる考え方を取り入れる、いわゆる成長はあるのだと俺は思います。
それでは今回はこの辺で。