100%そのままの自分(動画有り、長文です。お時間のある時にどうぞ。)
お久しぶりです。
突然ですがこの果成ながき、性懲りもなくまた、とある宣言をしたいと思います。
その宣言とは、[100%そのままの自分を出していく]事です。
1.初めに。
事の起こりはこのお方から。
まずはこちらの動画をご覧ください。
Nails, Hair, Hips, Heels by Todrick Hall
【和訳】Nails, Hair, Hips, Heels - Todrick Hall
格好いいと思いません?
実は数記事前にご紹介した瞑想方法を試していたところ、この動画が何度も頭を駆け巡り、繰り返し聞いてもこの曲の事が頭から離れないのでちょっと考察してみたんです。
もしかしたら、意味があるのはこの曲自体ではなくトドリックホールさんご自身なのでは?と。
そう思った俺はこの方について調べてみたんです。
そうしたらばニコニコ大百科でこんなインタビュー記事が見つかりました。
従来のセレブたちは、虚像を作り上げることが許されてたと思う。けど、今オンラインで成功してる人たちは、オープンかつ大衆的で、人生の悪い部分や良い部分の両方を見せてると思う。ネットで様々なコンテンツを観てるユーザーはすごく若いし感受性も豊か。そして作者がリアルな姿を見せれば見せるほど、自分と重ね合わせる。
もう一つ僕が気づいたのは、また違ったタイプのフォロワーがいること。
彼らはただ単にファンで、僕のビデオとユーモアのセンスが好きと言うだけでなく、僕、僕の家族、友達、そして僕の実際の人間性を愛してくれてる。彼らは、僕が作り出す作品というよりか、人間としてのトドリック・ホールに投資してくれるんだ。それは僕の人生を支えてくれるファンであり、僕はいま滅多にない環境にいる。というのは、アルバムがなくても、僕に知識が無くても、ツアーのチケットを買ってくれる人が沢山いる。そうしたファンは、僕を好きっていう理由だけで、どんな公演であろうと、会場に出向いて一生懸命稼いだお金を費やしてくれる。
今置かれているそんな状況は素晴らしいと思うし、新しく出て来るユーチューバーたちも、そうした状況を作れるといいんじゃないかな。100%そのままの自分を見せること。自分の人生を見せれば見せるほど、ユーザーは、自分が共感出来て、自分と同じような経験をしているアーティストたちに憧れるという形ではなくて、きみのことをまるで自分のように同一視するんだ。きっときみは驚くと思うよ。どれほど自分が誰かの人生のパーソナルな部分に訴えかけて、またファンがいかにきみをサポートしてくれるかってことにね。
この記事の後半の文言を見てハッとしました。
「どうして自分を出して生きている人たちはこんなにもかっこ良くて面白いのだろう」と。
この自分を出して生きるというのは人間関係だけに留まらず、あらゆる創作活動において共通する事だと思います。
例えば貴方はかのギネスに載った、日本史上最強の名を欲しいままにするお化け屋敷、「戦慄迷宮」をご存じでしょうか。
2.戦慄迷宮について。
(2020年6月の記事ですが、富士急ハイランドの行き方や入る際の注意点なども載っています。
よろしければご参考までに。)
かの戦慄迷宮、リンク先で紹介されていますが小道具や五感に働きかける恐怖が満載で、あまりのクオリティから「怖いけどまた行きたい!」という人が続出する、日本が誇るお化け屋敷なのです。
このファンを量産する息を飲むほどのクオリティ、情熱を持ち得ない人が作れるでしょうか。
例え見た目に美しくない、おぞましいと評されるものでも、良いものを作りたいという情熱が働いたればこそ。
俺はこういった小道具や雰囲気を見るたびに思うのです。
「すごいなあ。」
「情熱を持って取り組んだんだなあ。」
「こういうものが好きって言う情熱がないと、これほどのものは作れないよなあ」と。
そういった趣味はあまり多くの方には理解され辛いものでしょう。
ですがそれでも、そういうものが好き、もの作りに携わりたいという情熱がこれほどのものを作り上げ、引いては世界に名だたるお化け屋敷を作り得たのです。
人からどう思われるかという壁を越えて、行動を情熱に傾けた結果なのです。
突然ですが、自分を出して降りかかるデメリットとは何でしょう。
他人から嫌われることですか?
未熟な自分をさらして恥ずかしい思いをする事ですか?
ですが嫌われることを怖れたら、自分を変えることは出来ません。
俺にはとある目的があります。
その目的には、磨かれた人間性が必要なのです。
己を変える努力は惜しまないつもりです。
故に、俺は自分を出して生きる事を自分に許しました。
といっても、かつての上司に理屈っぽいと陰口を叩かれるほどの理屈屋な俺です。
ちゃんと理由があります。
長くなってしまいますが、よろしければお耳をお貸しください。
3.「真の自分」を出して生きる意義。
そもそもですが、人は「真の自分」を出して生きなければ「真の学び」を得られません。
この真の自分とはなにか。
真の自分とは、自分に素直な意見を発する自分です。
「アイツがむかつく」「これはしたくない」「あっちは嫌だ」に代表される、世に言う自分勝手な意見を発する自分です。
なぜこの自分を出して生きるのが成長に繋がるかと言うと、自分の生き方を否定されると新しい生き方を模索し始めるからです。
「いままでの自分の考えが通用しなかった!?」
「じゃあどうすればいいんだ!!」
苦悩し、涙ながらにもこんな風に思うはずです。
すると、いままで見向きもしなかった他人の意見に耳を貸そうとします。
新しい楽な生き方を身に付けるために。
そこで始めて生き方を変えようと調べ始めるんです。
新しい生き方を[受け入れる覚悟]を持って調べ始めるんです。
俺は日記を通して何十回もこの作業を繰り返してきました。
まだまだ足りないかもしれません。
だからこそ俺は、ありのままの自分を出して批判や批評を受け取り、正しく人に嫌ってもらうことが必要なんです。
4.正しく嫌われるとはどう言うことか。
正しく嫌われるとは、「この人はこういう人だ」という決めつけ以上の認識を持ってもらい、その上で嫌われることです。
そうした上で嫌われた場合、教えて貰えさえすれば直せるところは直せるからです。
貴方はこんな言葉を聞いたことはありませんか?
[好きの反対は無関心]って。
そう、[嫌い]じゃないんです。
嫌いという感情は好きに転じさせる事が可能なんです。
突然ですが俺は、高校の頃今よりもはるかに性格が暗く、高校で始めて友人と呼べる人と関わった切っ掛けですら、友人が他の友人間で決めて、罰ゲームとして関わってきたからなんです。
なぜその友人たちは、俺に関わろうとすることを[罰ゲーム]と称したのか。
また罰ゲームと称しながらも、なぜ知ろうと思ったのか。
おそらくですが、怖かったのだと思います。
何をしでかすかわからないから、少しでも知って恐怖に備えようとしたのではないかと。
嫌いという感情が、相手を知ろうとするきっかけになり得たのです。
ですがその罰ゲームで俺に関わってきた友人は、今でも一緒に散歩にいったり、誕生日には酒を贈ってくれるような無二の友人に変わりました。
嫌い、怖いというマイナスな感情からプラスの感情を抱いた要因は、俺を知ったからでしょう。
俺という人間の性格を知って、友達になれそうだと思ってくれたから、今でも続く友人関係を築けたのです。
もし最初に罰ゲームを仕掛けた彼らが、その時の俺を恐れるまま遠ざけ、全く関わろうとしなければ、俺の高校生活はもっともっと暗いものになっていたでしょう。
ありがとう、罰ゲーム考案者さん。
お陰で友人にも恵まれました。
まあ勿論、罰ゲームを称賛するつもりは毛頭ありませんが。
俺に限った話です。
5.決めつけの先にあるもの。
人が人を嫌うとき、上記の「この人はこういう人だ」の段階で止まっている人がとても多いように俺は思います。
そもそも貴方が嫌いな人は、貴方が思った通りの生き方をしているでしょうか。
例えば貴方がいま俺を嫌っているとして、俺の生活の何処からどこまでを想像できますか?
俺の一番好きな食べ物あるいは漫画、信念、友人や家族あるいは店員に対する態度、人生観。
俺を心から嫌っていると豪語している人の中で、この問いに一言一句間違わずに答えられる人は確実にいないと言い切れます。
しかし法に触れない範囲で、その人が公開している場面を見て、どう言う人かと考察することくらいはできる。
俺は、「いままで俺が嫌った人たちの事を真に理解しようとしたか?」と自分に問いただしたとき、過去に嫌った人たちの事を思い出しました。
とりわけ思い出されたのは梨の妖精、ふなっしーでした。
友人間で俺を表すネタにされ、最初に抱いた印象が最悪だったことがその原因です。
しかし色んな番組で活動する姿と、とあるインタビュー番組をみて印象が180度変わりました。
俺はその活動する姿を見るまで、「俺は彼の何を知った気でいたのか」と深く己を恥じました。
これが俺の、「己の生き方を否定されて知ることに積極的になった体験」のひとつです。
以上のような経験をして来た俺は、冒頭のトドリックホールさんのインタビューを聞いて、自分を出して生きることに意味を見いだしました。
6.遅い本題とあふれんばかりのプロフィール。
お疲れ様です。
えらく遠回りをしてしまいましたがようやくタイトル回収です。
上記の様な理由から、俺の書く記事はこれから大きく変わります。
折り畳む必要もないくらい短い記事を書いたり、文体や一人称が急に変わったり、突然叫びだしたり支離滅裂な事をいったり、ヘビメタ好きのイケイケボーイがいきなりリカちゃん人形で遊びだすような、[誰↓だあっ↑お前→!!??]と言わんばかりの変化が一記事内で起こる可能性があります。
更に更新頻度も高くないかもしれません。
ですが「男子三日会わざれば刮目して見よ」
【意味】日本での慣用句。日々鍛錬する人が居れば、その人は三日も経つと見違える程成長しているものだ。
という慣用句もある通り、その数日間を無駄に過ごす気はまったくありません。
何かしら見つけて戻ってきます。
前回の記事を書いてからまたしばらく経ちましたが、こうして新しい発想を身につけて戻ってきました。
しかし、人によっては見ているだけで腹が立つようなブログ運営をするかもしれません。
ですがどうかご容赦願います。
なにしろ初心者なもので。
もちろん、自分を出して書くことを自分に許しはしましたが、ご批判があり、そのご批判に深く反省する気持ちを持ったらば、また在り方が変わる可能性も十分あり得ます。
このブログは在り方探し。
在り方が見つかるまで変わり続けるブログです。
どうぞ今までの記事とも合わせて、俺と言う人間がどういう人間なのか、考察の一助にしていただければ幸いです。
ごめんなさい、これが100%そのままの俺なんです。
ああそうだ。
そのままの自分と言えば、プロフィールの「好きなもの欄」を暇を見つけて更新し続けておりました。
人を型にはめて考える人からすると、[なんであれが好きなのにこれが好きなの!?]というビックリ箱のような欄になっていると思いますので、ビックリしたい方は覗いてみてはどうでしょう。
正直自分でも雑多な趣味を持っていると思うので、どんな人が見ても、ピンときたものが新しい扉を開くきっかけになると思います。
気が向いたら検索してみてはいかがでしょうか。
今後も増やしていく予定ですよ。誰得ではありますが。
そもそも「もっと評価されるべき」と思って載せたものばかりです。
それでは今回はこの辺りで。