在り方探し。

いわゆる雑記ブログです。

「みっともない」なんて言葉はみっともない。


「どうして大人は子供のように

夏を楽しむことが出来ないのか」。

 

すみっこの空さんという漫画の中に

こういう言葉が出てくるんです。

 

 

 


俺の思うに、

大人は「大人」って言う存在に

固定概念を持っているからではないでしょうか。


戦場では、

「休める時に休むのが兵士の勤め」と言います。


大人(社会人)もまた然りで、

常日頃仕事と言う敵と戦ってヘトヘトになっている。


だというのに、

大人なら「しっかり」しろという曖昧な常識の下、

一般的な子供が持つような、

日々を楽しむ心を抑え込んで美徳と定めています。


しかし俺は違います。
むしろ逆です。


縁石があれば落ちないように歩こうとするし、

横断歩道をみりゃあ、

時たま白い線だけを歩いて渡ってみたりする。


ええ、みっともないでしょう。


31にもなってそんな子供みたいなことをして、

"日々を楽しむことを忘れず"

"ストレスを発散する機会を逃さず"

"度重なる期待や重責から

逃れようとする生き方"は。


「何故」、

子供の様に生きてはいけないんでしょうか?


いつから大人は、

他人の楽しむ様を見て

"恥ずかしい"と思うようになったんです?

 

心のトゲは常に

外からじゃなく内側から来るんですよ?


混ざっちゃいけないんですか?
楽しんじゃいけないんですか?
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」

なんてイキっていた貴方は何処へ行ったんですか。


つまらん大人になっちまったんじゃあない。

つまらん大人として生きることを

自分に強いているだけでしょう。

他人の目を気にして、

ストレスは溜め込む一方で。

 

酒、タバコ、大人のたしなみ。

楽しいですか?それ。

楽しいのなら良いですが。


大人は大人として生きなきゃならんと

誰が決めたんです?


良いじゃないですか横断歩道の白渡り。
楽しいじゃないですか縁石バランス。


日々に転がるちょっとしたチャレンジを

達成した自分を誉める機会を作りましょうよ。


「大人なら当たり前にできる」って?
あり得ませんよ、そんなことは。


猿が木から落ちて弘法が筆を誤るこの世界で、

当たり前に出来ることなんか何一つ無いんですよ。


諸行無常

そう思えているのは

"ただ確率が高いだけ"です。


自分にはそれが出来るだけの能力と体があり、

そして今、実践しチャレンジを成功させた。


こうした一つ一つの「実感」が、

ひいては人生に彩りをくれるんです。

 

また視点を変えれば

楽しむ方法はいくらでもあるんだと自覚出来る。


目の前の仕事に必死で取り組む姿は

確かに尊いし素敵なものです。


ですが大人だからこそ、

子供に無い視点で、

子供特有の楽しみを教授することは、

大人としての幅を広げる

一歩になるのではないでしょうか。


「みっともない」なんて言葉はみっともないです。
視野も心も狭くする言葉に魂を売らないでください。


今に不満があるのなら、

「今だからこその視点」でもって振り替えりましょう。


楽しむ事を恐れるな。
小っちぇえままの子供たちに、

「でっかくなった子供」の楽しみ方を見せつけてやれ。


その方がきっと、もっと楽しく生きられる。

 

それではまた。

 

 

「勇気とは起立して声を出すことである

 勇気とはまた、着席して耳を傾ける事である」

            ウィンストン・チャーチル