在り方探し。

いわゆる雑記ブログです。

奢られた時の「申し訳なさ」解決法。

貴方は奢(おご)られた時、

手伝って貰ったとき、

素直に感謝を口に出来る人でしょうか?

 

人によってはこれは簡単で、

「言わないなんて礼儀が無いにも程がある!」と、

その人の生きて来た経緯や背景、

思考の癖を知らずに

声高に叫ぶ人もいるでしょう。

 

かつて感謝を口に出来なかった立場の

俺から言わせるとそういう場合、

感謝したくても申し訳なさが際立ってしまい、

かつ感謝する理由がわからなかったのです。

 

これが昔の俺と同じ境遇にいる人に

刺さるかどうかは分かりません。

ですが、俺なりに苦心の末に見つけ出した知恵なので、

一応書かせていただきます。

必要な人に届くよう願います。

 

奢って貰った時や手伝ってもらった時って、

当然それをしなくなった分、

それをする事によって消費する物(時間やお金)が浮いた、

つまり得をしたことになりますよね。

 

その浮いた代金や時間を、

自分なりに最大限活かす方法を考えるんです。

 

例えば俺の場合だと、

・浮いたお金を漫画につぎ込んで

新しい知恵を手に入れる糧にする。

・浮いた時間を使って運動や休憩をし、

パフォーマンスを上げることで

別のところで役に立とうとする。

 

ここで重要なのは、あくまで自分が「楽しい」と

思える範囲に留めることです。

頂いた余剰を「活かす」とは、

自分を苛めるために有る言葉ではありません。

そうでなければ「感謝」は湧きません。

重荷になってしまいますからね。

あくまで趣味の範囲です。

 

新しい知恵を手に入れれば

人に教えられる知識の幅が広がりますし、

健康に気を使う時間に当てれば、

体調を崩して誰かに心配させることも無くなるし、

浮いた体力で誰かを余裕で助け、

その人の自己研鑽の時間の確保の手伝いも出来る。


浮いた時間で自分を向上させる事は、

巡り巡ってその奢ってくれた人や

手伝ってくれた人の人生を楽にするかもしれない。

そう考えると、

申し訳なさも多少は軽くなる感じがしませんか?

 

もし仮にその時、

自分を向上させる具体的な策が無くても大丈夫です。

浮いた時間という短くも尊い余剰(よじょう)を

「どう活かすか」を考えることは、

具体的な策と同等か、

それ以上の価値があります。


考えれば考えるだけ人の頭は活性化し成長するもの。

頭の中で咄嗟(とっさ)に思い出せないだけで、

経験というのはいざという時にふと思い出されるもの。

そのふとした瞬間ですら、

一度でもそうした経験を自分からしていないと

浮かんでこないものです。


考えるだけでも意味があり、

行動に移せばそれは経験になり、

いざというとき最善の道を照らしてくれる。

 

こんな善人ぶった事が言えるのは、

それがれっきとした論理だからです。

 

「これがこうであるからして、こうである」

そんな言葉で片付けられるくらい

当たり前な事だからです。


自分は善人でも何でもなく、

「ただ自分にとって得な事をしている」だけ。


でもだからこそ、貴方がこれを実行しても

「善人になろうとする・ならなければと思う抵抗」が、

少なくなるのでは無いでしょうか。

 

「あくまで自分は自分にとって

得な方を選んでいるだけだ」と言い聞かせると、

ちょっとだけ気持ちが楽になりませんか?

 

刺さる人がいるかわかりませんが、

お役立ていただければ幸いです。

それではまたいずれ。