在り方探し。

いわゆる雑記ブログです。

❮自己犠牲をよくする人へ❯幸福を感じきる責任。

 

世の中って大変ですよね。
自分の手の届かない様な遠くの場所で、

考えも及ばないような難しい仕事をして

苦労している人が沢山いる。

想像もつかない様な遠くの土地で、

今日生きることすらままならない様な苦労を

している人が沢山いる。

 


そんな沢山の苦労をしている人達に、

私たちが出来ることはなんでしょうか。
寄付でも節約でもボランティアでも、

自分に出来ることをしようという心構えは

大変に素晴らしいものです。

 

ですが、貴方はそれで幸せなんですか?
他人の幸せを優先することばかり考えすぎて、

自分にとっての幸せをないがしろにしていませんか?


最後に歯が見えるくらい大きく口を開けて

笑ったのはいつですか?
胸の辺りがほんわりと暖かくなるような

幸せを感じたのはいつですか?


「彼らはこれ程苦しんでいる」
「だから自分も頑張ろう」と、

弱音を吐こうとしている自分に激しく鞭打っていませんか?


しかし俺は思います。
誰かを思って自分を責める貴方を見ているのは心配だと。

 

遠くの地にいる見知らぬ誰かへの

暖かい気持ちを否定する気は微塵もありません。

ただ、遠くの誰かの苦労を言い訳にして、

「自分が幸せになる責任」から逃げていませんか?


考えても見てください。
貴方はその遠くの誰かが心から欲しがっている宝を、

感じることもなく乱暴に捨て去って、

自ら苦しんでいるんです。

 

例えば、ここにコップ一杯の水があるとします。
この時水を飲む人間がこんな二人ならどうでしょう。
一滴の水にすら追いすがる、

喉がひりついてまともに呼吸も出来ない程

カラカラに乾ききった人。

有りとあらゆる酒を浴びる様に飲み、

コップ一杯の水など暇潰しに使用人の顔に

ぶっかける為に使おうとする程潤った立場の人。


もし何らかの異常な出来事が起きて、

最終的にこの二人の立場が逆転したとしたらどうでしょう。
おそらく後者の潤った立場にいた人は、

自分の行いをかえりみたとき、

「もっと大切に扱えばよかった」

と過去の自分の行いを深く後悔する事でしょう。


対して前者の乾ききっていた人は、

1滴を求めて死に物狂いで追いかけた

あの苦痛を覚えています。

水一杯の価値を痛いほど分かっているのです。


自分が潤ったとき、その一杯の水の真価を

思い付く限り引き出そうとするでしょう。


自分が当然のように持っている物を、

持っていない人の存在を知ったとき、

例え自分にその経験がなかったとしても、

自分がその一杯の水をどう使えば良いのかを

考える切っ掛けになる。


飲むにしても使うにしても、

「感謝の念」を事前に持っておくことで、

後悔の無い選択が出来るんです。


人が自分より貧しい存在、恵まれない存在を知るのは、

「現状の自分に存在する幸福を

 心から味わって感謝を覚えるため」

ではないでしょうか。

人によって感じかたはそれぞれですが。

 

その立場にあるものが幸福を享受し、

自分に出来ることで還元する。

幸福な立場でしかなし得ない、

自分にとって最上の選択を取り続ける。


誰も幸福でいちゃいけないなんて

一言も言っていないんです。


俺は大きな意味で言えば、誰だってその立場として

生まれた意味があると思っています。


「その場で」「今」「貴方だからこそ出来る」

「貴方にとって最上の」

自らを幸せにする選択を取ることが、

恵まれない物に対するもう一つの

道ではないでしょうか。


幸せな貴方でしか出来ない偉業・覇業、

小さくとも人の幸せに寄与するような何かをすることが、

巡り巡って世界を豊かにする

最善の道なのだと俺は思います。

バタフライ効果ってやつです。

dic.pixiv.net

名前は気象学者のエドワード・ローレンツが1972年に行った講演のタイトルに由来する。
カオス理論における些細な事象がどこかで大きな影響を与えているという意味合いの言葉であり、これを蝶の大したことのない羽ばたきが地球のどこかで竜巻を起こしているという喩えを用いて表現した為、バタフライ効果と名付けられた。

(中略)

例え話をするならば、"貴方は人生をやり直すために過去へ飛び、成功の為に必要なものだけ購入し、趣味の物品の購入を犠牲にしたとする。するとそれで儲けるはずだった会社の売り上げは落ち、貴方が改変前の歴史で推していた作品はその歴史では作られなくなった、あるいは業界のトップ入りを果たせなくなった。それどころかその作品に影響を受けたクリエイターも現れず、更に…"といった具合である。

 

貴方の思い描く理想の貴方は、

自らを苦しめる選択を嬉々として取り続け、

肩で息をしているでしょうか。


そうでないなら幸福を感じる責任と向き合って、

五感を感じて生きてみてください。

後で食べようとしていた取って置きのおやつが、

今まで以上に尊いものに思えてくるのではないでしょうか。

 

この話を聞いたあなたが、

「こんなのメンドクサイ」と

今まで通りの選択をするのも全然OKです。

貴方の人生ですから。


ですが、何事も重要なのは知ることです。


貴方に馴染みの無い一つの道を

提示できたのなら万々歳です。
自らの選択に後悔しない切っ掛けになれたら幸いです。

 

それでは今回はこの辺で。

 

ああ、一応断わっておきますが、

直接的支援を否定しているのでは全くないので、

そこはご留意ください。