在り方探し。

いわゆる雑記ブログです。

「こーいうやり方も有り」今を感じる方法。

世の中には人の数だけ今の感じ方がありますよね。

その中の一つ、この果成ながきがよくやる

「今の感じ方」を書き残しておきます。

どうか必要な人に届きますよう。

 

 

その方法とは、

体内時計か秒針の進む速度に従って、

体と心の力を抜きながら、頭の中で60秒から120秒数えることです。


一秒をしっかり感じることで、

一秒が刹那ではなく「一秒」という時間に変わり、

次の課題で迫る期限までの数十時間を

「使う」ことに意識を向けられます。

刹那とは。
仏語。時間の最小単位。

1回指を弾く間に60あるいは65の刹那があるとされる。
 

一秒を数える時間が無駄だと思うのなら、

普段やっていることで何時間潰れているか考えてみて下さい。

 

この一秒の60倍120倍1200倍もの時間、

無駄と思えるものに時間をかけて過ごしてきたから、

いまこうして焦ることになったんでしょう?(焦っている人は)

 

しっかりと今に価値を見出だして過ごせていたのなら、

無駄だなんて思わないはずです。

 

その一秒を自己変革に使えている今を誇って下さい。

 

貴方が無駄と信じてきた今までの時間よりも、

これからの一秒はそれ以上の価値を持つはずです。

 

ここでもし、

「俺の時間が無駄かどうかをお前が決めるな」

と思うのなら、今まで過ごして来た時間を信じて、

真っ正面から向き合ってください。

少なくとも俺に反論できるだけの

輝く何かが隠されているはずです。

 

例え今見つからなくとも挫けては行けません。

探そうとすると探しているものしか見れなくなるんです。

過ごしてきた時間の価値はある時ふっと感じるものです。

 


改めて書きますが、

上記の感じ方を実践していると、

次第にその時間を「使う」ことに意識が向いていきます。

 

「あれやって、これやって、あれを終わらせたら大体期限までこのくらいか」と、

ぱっと計算して出した自由時間の中にも、

先ほどしっかりと感じた一秒が、一時間、

はたまた五時間、さらに十時間と沢山あることに気づくんです。


ぱっと考えて出た「自由時間」はいわば数字、

グラフ、

データ、

机上の空論です。

その時貴方が見ているものは、

「あと~時間の自由時間」という「概念」です。


時間とは、今と未来を繋げている

ゆっくりとした動く歩道のようなもの。
勝手に進んでいくのならば、

動いている足場を楽しむ余裕を持つこと。


まずは何よりも課題の期限についてどうでもいいと思いなおし、

「時間を感じる幅を広げる」ことから始めるんです。

人というのはいつの間にか自分を追い詰めているものです。


だから時折どうでもいいいいいいいと口に出して、

「気持ちの上だけでも全てを投げ出し」

気の向くままの時間を過ごそうと心がけることが大切。


誰かに何かを言われたからという理由で自分の視野を狭め、

結果的には悩むことに時間を使ってしまい

休息を取る効率を悪くし、

じわじわと自らの首を絞めていく。


多くの人は、期限までの残された自由時間で、

「どれだけ期限までに準備できるか」

しか頭に浮かばないんじゃないかと思います。

準備というなら鋭気を養うのも立派な準備です。


しかし多くの人は、

自由な時間といっても何をしたらいいかわからないでしょう。


「何かをしなくては鋭気は養えない」

と思っているのではないでしょうか。
ですが何かをしなくては英気が養えないわけじゃありません。

何もしなくとも

目を閉じるだけ、横になるだけで鋭気は養えるんです。

 

鋭気とは鋭い気と書きますが、

「楽しまなくちゃ」「準備しなくちゃ」と

ヒーヒー言いながら過ごして疲れた心で、

鋭い視点が持てますか?


今を楽しもうという余裕が感受性を高め、

次第に興味のある事象に引き寄せられ、

結果的には最上の時間を過ごすことが出来るんです。


誰だって何かに焦りながら心から没頭することは出来ません。

 

ものを楽しむには余裕が必要なんです。 
暇な時間に意味を見出すことが出来ないのなら、

なおのこと暇な時間を作りましょう。


忙しくすればするほど、心はそれだけ疲弊していくのですから。

 

暇な時間が作れないと嘆く(なげく)人は、

嘆くよりも前にどうにか暇な時間を作る方法を考えてください。

 

俺の様な貴方のことを何も知らない、

理解の無いド腐れ野郎が周りでどれだけ喚(わめ)いても、

現状を変える選択が出来るのは最終的には貴方だけなんです。