在り方探し。

いわゆる雑記ブログです。

独りの勧め。

 

お久しぶりです、果成ながきです。

以前、100%そのままの自分

mahorabar.hatenablog.com

なんていう記事を上げた俺ですが、

長年染み付いた生活習慣というのはなかなか抜けないものです。

 

 

人の目線を気にして生きるのが当たり前になった男が、

感動を伴ったとはいえ付け焼き刃の知識で

どうにかなるものでは無いのかもしれません。

 

いまでも俺は一年前、当時読んでくださっていた唯一の読者さんからのご批判を受けたショックを引きずり、

「このブログに訪れる人が誰一人良い感情を持って見ていないんじゃないか」

「あら探しをするために見ているんじゃないか」と本気で思っていました。

 

そんな中、つい先程とある思考法を見つけて実行し、

いまとても不思議な気分で過ごしています。

 

あれほど気になっていた人の目がどうでも良いと思えるくらいには不思議な感覚。

 

その思考法とは、

自分以外誰も存在していない世界で静寂を感じる

というものです。

 

また馬鹿なことをとお思いでしょうか。

 

正直俺も正気じゃないかもしれません。

 

その世界は、自分以外の生き物がただの一人も、

いや人間だけでは飽きたらず動物一匹すらいません。
微生物においても同様です。

 

この地球上に存在する「生き物」と呼べる存在は、

その世界で自分だけです。

 

他にはただ、ばらばらに砕け散ったビル群と、

それをこうこうと照らす太陽があるだけなんです。

 

俺はそのビル群の一角に座れる場所を作り、

ただただなにも考えず、静かな空気を感じているんです。
静かな空気を積極的に感じようとしているんです。

 

その状態をしばらく続けていると、何だか人というのが、

ただ存在するだけで尊いものなんだなあと

思えてくるようになったんです。

 

この状態がどういう状態なのか、

良いものなのか悪いものなのかさっぱりわかりません。

 

ただひとつだけ言えるのは、心がものすごくスッキリするというだけです。
そのスッキリという感覚すら、

俺がこの地球で独りに慣れていたから感じた余裕かもしれません。

 

どう思うかは貴方次第です。
しかし少なくとも確実に言えるのは、俺はこのやり方で、

長年培ってきた他人への気遣いなんてものがどうでもよくなるくらい、

不思議な状態になれているってことです。

 

目次もない、面白味もない、

記事として上げるには粗末に見えるこんな文章を、

一ヵ月強手をつけられなかったブログに

投稿できるくらいには。

 

こんなつっまんねえ記事しか書けない俺ですが、
また続けても良いんでしょうか。

 

いいんでしょうね。
良いんだと思います。
また書きます。
今度はもっと支離滅裂な、記事の体裁を保てない様な、

珍妙・不可思議な記事も含めて。
これもまた俺の在り方です。

 

こんな頭イっちゃってる野郎の話が聞きたい人はまたお越しください。
イっちゃってるからこそ見えてくるものがあるかもしれません。


もし貴方だけの世界に俺みたいな奴がお邪魔したら、

俺ならほっときますね。
勝手に喋り出すと思いますから。

俺はこれから一人、勝手にブログでくっちゃべる内容を

思案する作業に戻ります。

ではまた。