趣味とは身体の感覚を感じること。
趣味をやっているとき味わうのは、
実のところ感じているのはそれそのものの楽しみというより、
それを楽しんでいる自分の体の感覚だ。
スポーツをやっているときは身体の微妙な感覚に集中し、
本を読むときは頭の中に聞こえてくる声に耳を傾け解釈し、
お茶を立てるなら静謐(せいひつ)な空気を味わうことをただ楽しむ。
身体を操作し、耳を傾け、
落ち着いていく自分を感じて楽しむこと。
そうでなければ、「趣は味わえない」。
趣味とは趣を味わうと書く。
そして、味わうとは感じることだ。
趣味とは詰まるところ、
心地よいことをする、ということだ。
そう考えると、動物は実に多趣味である。
苦労して捕った食材にかぶり付き、
天敵の居ない環境でやんわりと過ごし、
高い場所に登っては澄んだ空気を存分に取り込む。
どれも趣を味わう意識がなければ、
「当たり前のこと」「些末なこと」として片付けられ、
次の狩りの効率化や群れのボスへの忖度(そんたく)、
もっともっと良い寝床探しに追われる事になるだろう。
趣を味わう事を忘れるとはそういうこと。
味わうことを忘れ目的に奔走する。
趣味とは何かをすることではない。
「何もしていない自分をも楽しむ」という事だ。
考えることが常態化した人間だって、
元を辿れば本能に忠実な動物なのだ。
ここはひとつ、本能に従って生き続けてきた先輩たちに習い、
寝床の心地よさを再認識し、
多種多様な食べ物の味付けに感動し、
天敵のいない空をベランダから、
夜風を感じつつ眺めてみるのも一興だろう。